藤原基房関連エントリー

曹洞宗の開祖・道元~永平寺を建立

... 正治二年(1200年)に 京都 にて、父は内大臣の 久我道親 (みちちか) 、母は摂政・ 藤原基房 (もとふさ) の三女・ 伊子 という、申し分ないお二人の間に生まれました。 しかし、3歳で父を亡くし、8歳で母を亡くし 13歳で比叡山に入ります 。 ...

曹洞宗の開祖・道元~永平寺を建立

劇評??「道元の冒険」

... 道元は、土御門帝の右大臣久我通親と名門、藤原基房の三女伊子の間に生まれた。母親は木曾義仲が都になだれ込んで来たときに政略結婚させられたが、義仲敗退後久我通親の側室になった人である。三歳の時に父親を、八歳の時に母親をなくした。 ...

劇評??「道元の冒険」

平資盛~殿下乗合事件の当事者

重盛 の次男。1170(嘉応2)年7月、摂政 藤原基房 の車と路上ですれ違った際に、下馬しなかったことで辱めを受け、これに怒った父 重盛 が報復に出るという 殿下乗合事件 起こりました。 武将よりも歌人として有名で『 新勅撰集 』などにも入集する ...

平資盛~殿下乗合事件の当事者

永平寺・那谷寺・竹生島参拝 1

... 永平寺の開祖道元禅師は、鎌倉時代の正治2年(1200)京都に誕生され、父は鎌倉幕府の左大臣久我道親、母は藤原基房の娘といわる。8歳で母の他界に逢い、世の無常を観じて比叡山横川に出家された。その後、京都の建仁寺栄西禅師の門に参じ、24歳の春 ...

永平寺・那谷寺・竹生島参拝 1

▲平重盛▲~平重盛の死~

... 殿下乗合事件 では執拗に子の恥をそぐために関白・ 藤原基房 に仕返しをはかっておりこの所業が唯一の疵(きず)といえます。 ... 法勝寺へ参る途中の摂政・ 藤原基房 の行列と遠乗り帰りの 平維盛・資盛 の一行が路上でかち合いました。 ...

▲平重盛▲~平重盛の死~

藤原基房とは?

『松殿基房』より : 松殿 基房(まつどの もとふさ、久安元年(1145年) - 寛喜2年12月28日 (旧暦) 12月28日(1231年2月1日))は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿。正式には藤原 基房(ふじわら の もとふさ)。松殿家の祖である。父は関白の藤原忠通(基房は次男)。母は権中納言の源国信の娘・俊子。近衛基実の弟、九条兼実の兄にあたる。子供に藤原隆忠(左大臣)、藤原師家(松殿師家、摂政内大臣)、伊子(源義仲側室、後に源通親側室、道元の生母といわれている)、僧行意、僧実尊などがいる。
1156年8月、元服すると同時に正五位下を叙任する。翌年8月には従三位、権中納言となる。その後も内大臣、右大臣、左大臣などの高官を歴任し、兄の基実が早世すると、その息子である近衛基通が幼少のため、代つなぎとして六条天皇の摂政に就任した。1168年2月、六条天皇に代わって高倉天皇が即位すると、引き続いて摂政を務め、1170年12月には太政大臣、1172年12月には関白となった。

藤原基房の詳細